文章◉澤田 空海理
装画◉田雜芳一
「遺書」という曲を書きました。
僕はあなたがいなければきっとろくに芸術にも触れず、手の届く範囲のものだけを享受して、何が美しくて、何が美しくないのかなんて気にも留めず、必要のない負の感情を全部真っ直ぐに受け止めて、周りに役立たずの烙印を押されて、曲のタイトルもまともに考えられないまま、なんとなく幸せな日々を過ごしていたのだと思います。
これは全部八つ当たりで、勝手に捻じ曲がったのです。それでも、直接伝えたけれど、あなたが僕の音楽に与えたものは計り知れません。与太話のことなんかじゃなくて、もっともっと近くにあるもの。あんな分かりきった呪いの歌ではなく、歳をとるたびに衰えて平らになっていく残り滓みたいな感性をどうにか支えていたもの。だから責任をとってくれということではありません。優しさをしゃぶりつくして、それなのに自己実現のことしか考えていなくて、どれだけあなたが心配してくれたかにたどり着く頃には加虐性に塗れた曲が何曲も出来ていて、出していて、返したいなんて言ってそれはただもう一度自分を見てほしいだけで、くだらない人生だと思いました。だからおそらく一生で一回の、この先、僕の原点として扱われることになるこの機会に、もう一度だけあなたの歌を書くことにしました。堕ちるならとことん堕ちます。きっと見せたかった生き方はこんなんじゃなかったけれど、今更取り繕う方が汚い気がしました。これが誠実さだと言い切る気は微塵もなく、ここまですべてが最低の塊で、あまつさえそれを文章にまとめて俯瞰できている自分を演出するところまで含めて最悪の生き方です。でもその生き方を選びました。メジャーの一曲目にこんな曲を選ぶこと、その中に「僕は変わらないから安心してくれ」なんてメッセージは無く、一つのしょうもないエゴがあるだけだった。場合によっては人生を決定づけてしまう一作も簡単に捨てられるほど、あなたは代わりが効かない。歌詞を愛してくれてありがとう。似通ってきて、手札も少なくなって、一作ごとに魅力がなくなっていくのに気づかないふりをしてくれてありがとう。気づいていたのに言わないでくれてありがとう。天才だと褒めてくれてありがとう。せめて、あなたがふと街頭や店中で僕の曲を聴いてしまった時に失望されない曲を書きます。