とじる
寄る辺
言葉、それが芸術か否かはさておき、残すタイミングというものが存在するように思えます。その齢、季節、出会い、別れ、心境変化、それを成熟と呼ぶべきか、はたまた退行なのかはわかりませんが人生のある一定の期間にしか書けないものは間違いなく在ります。その中でとりわけ「遺書」というものは果たして今際の際に書くものなのか、それが然るべきタイミングなのかと悶々としておりました。私の人生はとっくに私の手を離れていて、創作に魅せられたといえば聞こえが良いですが、その大きさ故に輪郭を捉えることすら難しい概念に先導してもらわないと足が先へ進まないのです。遺書を残すには、既に本人の意識が希薄すぎます。ただ、その先導によって刻まれる足跡は紛れもなく人間の足の形をしています。踏んだ本人の意思が靴底の形に反映されないように、私がそれをどういう気持ちで踏もうが人の足跡です。誇れるものが多くない自身の人生に、唯一、他人に何かを与える可能性をもっている楽曲、ひいては詞たち。それをこの「遺書」という場所へ羅列することで、決して少なくはない人数に自分の生き様をいち人間として覚えておいてもらえる気がするのです。
文章◉澤田 空海理
装画◉田雜芳一
Digital Single
作曲
2024.04.03
作詞作曲・編曲:澤田 空海理


作曲

僕らは心を作る仕事をしている。
空の水筒を詰める。

さくら味って何味なんだ。
調べないでおこうか。
知らないからこそ、浪漫は咲くよ。

クリックひとつで音が鳴る時代だからこそ
君の、浮かれてしまうような歌声がいい。

聞く側にまわる。携帯はしまう。
声のトーンはちゃんと選ぶ。
仕草は口ほどにものを言うから。
君との会話は歌詞より歌詞で、
抑揚ひとつで事足りる。そこに音楽は鳴る。

僕らは心を作る仕事をしている。
なんならパンだって焼ける。

君は、花粉症の薬を鞄に忍ばせる。
僕は、それを見て春の訪れを知る。

可もなく不可もなくの君のピアノが無性に聴きたい。
「昔、習ってたんだ」に「どうりで」で返したい。

行き先は選ぶ。返信は早く。
二人で話す時間を作る。
誰もがその場で怒れるわけじゃないから。
パックでいいから紅茶を淹れる。
「熟れ」と「慣れ」の区別をつける。
「当たり前」をちゃんとやろう。

遠くないうちに声さえも置き換わる。
その前に知ってほしいことがあるよ。
とってかわれない歌だけ残るように、
僕らは心を作る仕事をしている。

今を唄う。

シンガロングがなくなる日は来ない。
だからこそ君の、浮かれて跳ねるような歌声がいい。
君との会話は歌詞より歌詞だ。
それに見合うような拠り所を探している。
薔薇の用意をしている。

数百円のフライパン、丈の足りないカーテン、
ピアノの上の生花、僕らだけのレイトショー、
5巻の抜けた漫画、取り込み忘れた毛布、
謎に長い信号、フライングスタート。
正解を探さない会話、曖昧なままでいいや。
っていうか、そんなもん最初から無かったんだ。
コーヒーで粘る1時間、に、ケーキ足して2時間。
目でうつ相槌は見惚れちゃうからなし!

生活じゃなくて、心に根差すもの。
それを測る物差しを未だに探している。
なんだって話してしまうから喉が渇く。
すみません、お水ふたつ。