寄る辺
言葉、それが芸術か否かはさておき、残すタイミングというものが存在するように思えます。その齢、季節、出会い、別れ、心境変化、それを成熟と呼ぶべきか、はたまた退行なのかはわかりませんが人生のある一定の期間にしか書けないものは間違いなく在ります。その中でとりわけ「遺書」というものは果たして今際の際に書くものなのか、それが然るべきタイミングなのかと悶々としておりました。私の人生はとっくに私の手を離れていて、創作に魅せられたといえば聞こえが良いですが、その大きさ故に輪郭を捉えることすら難しい概念に先導してもらわないと足が先へ進まないのです。遺書を残すには、既に本人の意識が希薄すぎます。ただ、その先導によって刻まれる足跡は紛れもなく人間の足の形をしています。踏んだ本人の意思が靴底の形に反映されないように、私がそれをどういう気持ちで踏もうが人の足跡です。誇れるものが多くない自身の人生に、唯一、他人に何かを与える可能性をもっている楽曲、ひいては詞たち。それをこの「遺書」という場所へ羅列することで、決して少なくはない人数に自分の生き様をいち人間として覚えておいてもらえる気がするのです。
文章◉澤田 空海理
装画◉田雜芳一
きみのかみ
君が髪を切った理由を僕は聞けない。
あの長い髪はよく似合ってたけど。
それは、多分あいつのせいなんだろうな。
あぁ、悔しいな。
君が髪を切った理由を僕は聞かない。
誰かの好みか、それとも失恋か。
やっぱ、長い方が似合うと思うなぁ。
僕はそう思うよ。
待ち合わせには遅れない。
無責任な言葉も使わない。
なるべく引っ張っていくから。
転びそうなら手を貸すよ。
だからといって、君の隣に居られるわけじゃない。
わかってる。泣き言くらい、言わせてくれよ。
誕生日も忘れずに。
記念日だってちゃんと祝おう。
花束を持っていくから。
話だって真面目に聞く。
わかっているんだ。
今、ここにあるのは
君が髪を切った事実だけ。
君の好きな歌が、今じゃ僕の好きな歌だ。哂う
そうやって、君は前に進んでいく。
いつの間にか、君より詳しくなっていた。
哂ってくれよ。さよなら程度も出来なかったんだ。
待ち合わせには遅れない。
無責任な言葉も使わない。
なるべく引っ張っていくから。
転びそうなら手を貸すよ。
だからといって、君の隣に居られる僕じゃない。
わかってる。僕はあいつにはなれない。
悔しいけど、認めるよ。
短い髪もよく似合ってた。
ちゃんと、上手くやっているみたい。
寂しいけど、嬉しいよ。
わかっていたんだ。
今、ここにあるのは君が髪を切った理由だけ。
僕も、歩いてみるから。
苦しくて、光っていた日々を切って離すよ。
じゃあね。
君が髪を切ったのは。
好きでよかった。本当に思うんだ。
心に灯が残らないように。
君が髪を切った理由を僕は聞かない。