寄る辺
言葉、それが芸術か否かはさておき、残すタイミングというものが存在するように思えます。その齢、季節、出会い、別れ、心境変化、それを成熟と呼ぶべきか、はたまた退行なのかはわかりませんが人生のある一定の期間にしか書けないものは間違いなく在ります。その中でとりわけ「遺書」というものは果たして今際の際に書くものなのか、それが然るべきタイミングなのかと悶々としておりました。私の人生はとっくに私の手を離れていて、創作に魅せられたといえば聞こえが良いですが、その大きさ故に輪郭を捉えることすら難しい概念に先導してもらわないと足が先へ進まないのです。遺書を残すには、既に本人の意識が希薄すぎます。ただ、その先導によって刻まれる足跡は紛れもなく人間の足の形をしています。踏んだ本人の意思が靴底の形に反映されないように、私がそれをどういう気持ちで踏もうが人の足跡です。誇れるものが多くない自身の人生に、唯一、他人に何かを与える可能性をもっている楽曲、ひいては詞たち。それをこの「遺書」という場所へ羅列することで、決して少なくはない人数に自分の生き様をいち人間として覚えておいてもらえる気がするのです。
文章◉澤田 空海理
装画◉田雜芳一
お寝み
おかえりを言おう。
出会い方を掘り起こすには
それなりの月日が経った。
思えば、おぼこい背伸びだった。
自炊をしないあなたの料理はやけに凝っていて笑いました。
性格がよく表れています。
潔癖な味付けに愛が隠れていないよ。
お寝みで一日が終わること。
どんなに素敵なことでしょう。
夜通し話すのも、寝ているのと変わらない相槌も、
いつか特別じゃなくなるのが
それはそれで、楽しみです。
嘘を吐くのが下手。気遣いの豊富さ。
そういえば、上手な嘘もあった。
サプライズからのプロポーズ。
じゃあ、私からもひとつ。
週末は、あえて言葉を借りるなら
「良いデート」を組み立てましょう。
桜に逸っているあなたをもう一度見たっていいんだよ。
今度こそ浴衣を着て同じ家に帰ろう。
愛し損ねた、あなた以外の誰かに機嫌を損ねた、
そんな過去も聞いてくれた。
聞きそびれたことを丁寧に踏みながら
歩幅を微調節する私たちです。
もはや原型のないあだ名。
皺の増えていく掌、緩くなった指輪。
そして、どれもこれも守りたいのは
我侭じゃなくて、恣(ほしいまま)でして、
羨ましいのは、あなたのその素直さ。
変わらないでいてほしいのは、そのわかりやすさ。
心から笑うあなたに、私がよく似合うよ。
私が居ることを見ていてね。
おやすみ。