寄る辺
言葉、それが芸術か否かはさておき、残すタイミングというものが存在するように思えます。その齢、季節、出会い、別れ、心境変化、それを成熟と呼ぶべきか、はたまた退行なのかはわかりませんが人生のある一定の期間にしか書けないものは間違いなく在ります。その中でとりわけ「遺書」というものは果たして今際の際に書くものなのか、それが然るべきタイミングなのかと悶々としておりました。私の人生はとっくに私の手を離れていて、創作に魅せられたといえば聞こえが良いですが、その大きさ故に輪郭を捉えることすら難しい概念に先導してもらわないと足が先へ進まないのです。遺書を残すには、既に本人の意識が希薄すぎます。ただ、その先導によって刻まれる足跡は紛れもなく人間の足の形をしています。踏んだ本人の意思が靴底の形に反映されないように、私がそれをどういう気持ちで踏もうが人の足跡です。誇れるものが多くない自身の人生に、唯一、他人に何かを与える可能性をもっている楽曲、ひいては詞たち。それをこの「遺書」という場所へ羅列することで、決して少なくはない人数に自分の生き様をいち人間として覚えておいてもらえる気がするのです。
文章◉澤田 空海理
装画◉田雜芳一
告白
ねえ、どうか聞いて。
忘れて良かったことなんて
ただの一つも、文字通り無くてさ。
歌詞なんて生きていたら思い付くから
覚えていられない方が余程、怖いよ。
比べるほど、比べないほど、
あなたの輪郭は大体になっていって
年々太っていく手が掠っただけで
読み取れなくなっていた。
最初で、最後の独白です。
声だけでいいから聞きたいです。
叶わないから言えることです。
弱さを隠さないのもきっと加害です。
うん、それで合っている。開き直っている。
今更、あなたの歌で売れても意味がないのに。
砂文字が消える度に
わざわざ書き直し続けていたら
いつか人の形になる気がしていた。
あなたのペンはいつも口より雄弁だった。
春物を出しては仕舞う度、
あなたの描写は適当になっていって、
元通りの自分に戻っていっている。
それが許せなかった。
もう何度目かの独白です。
他人事でいいから、聞いていて。
細部まで凝ったその歌詞に、
貴女は最後まで宿らなかった。
勝手な独り言の体だが、
誰宛てかは明白だった。
ゆえに、告白と名付けた。
ぶん殴ってくれていいからさ、
続ける意味を僕にくれ。
探さなくても傍にあったもの。
それすら失わないと動かない手。
うん、それで合っている。出に使っている。
たかが音楽のために。
最後で、二度目の告白です。